妊娠後期に切迫早産入院になってしまった
いつ退院になるのかわからない
点滴を外したいけど張り返しがこわい
そんな不安を抱えていませんか?
本記事では、こんな疑問にお答えしています。
- どんな状況で入院になったの?
- 子宮頸管は伸びた?
- いつ点滴を外せた?
- 張り返しはあった?
- いつ退院できた?
切迫早産は、たくさん我慢しなければいけないことや不安があります。
そんな中で頑張っている方へ、少しでもお力になれることがありましように。
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わたしは、妊娠24週で切迫早産入院となり正産期まで入退院を繰り返しました
切迫早産とは
まず切迫早産とは、早産の危険性がある状態、早産が差し迫っていることを言います。
お腹の張りや痛みによる子宮収縮によって、子宮の出口までの長さである頚管長が短くなってしまう、
あるいは、子宮の出口である子宮口が開きかけてしまうことによって起こります。
早産で生まれてしまうと、身体機能の未発達によって生命維持が難しい状態になってしまったり、低体重や未熟児、発達の障害など様々な危険性があります。
それを避けるため、早産を進行させないよう、薬や点滴での治療と、できる限り動かない、絶対安静を求められます。
どんな状況で切迫早産入院になったのか
わたしが入院した時はどのような状況だったのか。
切迫早産と初めて診断を受けたのが妊娠24週のこと。強い腹痛に襲われ病院へ受診したところ、子宮頸管の短縮により即入院となり1週間程度病院で過ごしました。
それから1か月と少し、実家にて絶対安静の生活を送っていましたが、30週の妊婦健診でお腹の張りが頻回なことから、再入院となりました。
子宮頸管の長さと目標週数
再入院が決まった時点では、張り止めであるリトドリンは、内服で継続されていました。
子宮頸管の長さは、お腹が張っていない普通の状態で18mm、張っている状態では12.8mmでした。
この時期の正常値は30mm以上といわれています。
胎児の重さは、推定1500g台で形態異常等は見られないという診断でした。
前回の入院で、まず目標30週まで頑張ろう、と先生から言われていたので最低目標はクリアしていましたが、まだまだ発達は未熟な状態なので、今回の目標は36週までと決まりました。
早産が進行するようであれば、治療を点滴に切り替え、最長36週台まで入院し、それ以降は治療を継続せず終了という治療方針です。
治療経過を解説!点滴と張り返し
入院4日目に診察があり、ここでの子宮頸管は18mm。伸びても縮んでもおらず、変化はありませんでした。
しかし、7日目の夜にお腹の張りが強くなり、点滴となりました。リトドリンの点滴とプラスして、1日3回の抗生剤点滴も数日間追加になりました。
点滴になってから、子宮頸管は16mmと多少縮んでいました。
ここから診察は週1回ごとに診てもらえましたが、寝たきりの安静にしていたのにも関わらず、32週、33週と子宮頸管に変化はありませんでした。
24週の前回の入院と比べ、点滴をして安静にしていても、張るときはお腹が張り、ひやひやした瞬間が何度もありました。
点滴はいつ外れたのか
34週の診察。ここでも子宮頸管に長さの変化は見られませんでした。
しかし先生から、「外したい、退院したいのであれば外してもいい」という診断を受けました。
ですが、外した後の張り返しによって、出産につながってしまうこともあり、その部分はなんとも言えない、という話でした。
点滴は、内服薬と比べ、薬の成分が何十倍も強くなっているため、外すとその反動により張り返しが起きてしまいます。
前回の入院ではそれほど張り返しはひどくなく、持ちこたえ退院できましたが、今回は妊娠週数も経過しているので、前回同様にとはいかないだろうなという気持ちでした。
そのまま生まれてしまうんじゃないか、とても不安になり、いろんな助産師さんや看護師さんに聞きまくりましたが、答えはみんな一緒。
「産まれる人もいれば産まれない人もいる。それぞれだからねぇ。」
そんな言葉に葛藤を抱きながらではありましたが、退院したい気持ちが強かったので、点滴を外すことにしました。
張り返しはあったのか?
朝に点滴を止め、内服に切り替わりました。張っているときはあるものの、危ないような張りではありませんでした。
そのまま様子を見ながら日中過ごしていましたが、その日の夜。少し張ってきたかなと思い、ナースコール。
張りを見るモニターを付けてどの程度張っているのか確認がありましたが、段々強さが増してきて本当に痛みを感じるくらいになっていきました。
先生から「今生まれてしまうのはまだ少し早いから、点滴再開しよう。」
それからまた1週間、点滴を再開しました。
おっかなびっくりで点滴を外したこともあったので、再開と聞いて落胆の気持ちもありましたが、「今生まれなくてよかった」と安堵の気持ちの方が大きかったです。
点滴の繰り返し
もう1週間頑張り、35週。
ここでの診察でも、外したいなら外してもいい、という診断でした。
産まれてしまうのか、また葛藤はありましたが、今回も外してみました。
日中様子見の間、ある助産師さんから何気ない一言。「点滴何度も止めて頑張る人(他にも)いるよ」
それを聞いて、何回も繰り返しちゃうけど、それでも頑張って外す人他にもいるんだ、切迫の人はこうやってみんながんばってきたんだ、と励みになりました。
日中はそれほど大きな張り返しはなく、夕方に再度張り具合を見るためのモニターを付けて、確認が取られました。
そこで、大きめの張りが見られ、また大事をとって点滴再開となりました。
前回同様、日中はそれほど大きな張りはないのに、夕方になると張り出していました。
【切迫早産入院】運命の36週。そのまま生まれてしまうのか?
点滴を繰り返すことになり、でもあと本当に1週間だけ、というところまで来ました。
あと少し。これまでの長い安静生活と我慢の連続で、そのあと少しが、また長く感じられました。
36週。ついにこの日がやってきました。
退院するのか、生まれるのか。
朝に外し、また日中様子を見ます。これまでと同じように、昼間はそれほど張りませんでした。
いつも大きく張ってきてしまう夕方は、確かに張りましたが、陣痛につながるような張りにはなりませんでした。
そして次の日。陣痛ではないけど、痛い…
そんな状態でしたが、陣発ではないことから、長期入院だったこともあり退院の許可が下り、ついに退院できました。
点滴の張り返しでは、私の場合は出産には至りませんでした。
いつ生まれたの?
退院の許可が下りたその日の昼頃に退院しました。
久しぶりの病院食以外の食事で、近くのおいしいごはん屋さんで昼食を取りましたが、痛みは常にあり、車に乗っているだけでもつらい状態でした。
「これはまた今日のうちに病院に戻ってしまうかもしれない」
その覚悟で、コロナで面会禁止だった夫にも約2か月ぶりに再会し、自宅でゆっくり寝て過ごしました。
しかし、その覚悟とは裏腹に、寝て過ごしていたらなんと腹痛は回復していきました。
そして、退院から1週間。何事もなく過ごすことができていました。
陣痛が来たのは、37週4日。夜に7分間隔の痛みがあり、病院へ連絡。
分娩所要時間5時間の末、日を跨いだ深夜に出産となりました。
まとめ
30週から切迫早産入院になり、経過を見ながら最長36週まで入院する治療方針でしたが、34週から本人の希望により点滴を止めることが許されました。
通常、点滴を外すとその反動で張り返しが起き、そのまま出産にいたってしまうケースもあります。
わたしの場合は、入院後の治療と安静に過ごしていたものの、短縮した子宮頸管は回復することはなく、34週をむかえました。
そこで点滴を止めてみましたが、その日の夜に大きく張ってきてしまい、再開。
35週でも、止めてみたものの夜に張り出し、点滴再開という風に、点滴を止めては再開を繰り返しました。
そして36週。外した後は、陣発になることなく、一時帰宅が許され退院できました。
それから1週間と少し経ち、陣痛により出産に至りました。
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